秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
現代語訳秋の田のかたわらに建てた仮小屋は、屋根に葺いた苫の目が粗い。だから私の袖は、露に濡れていく。
意味と現代語訳
100 首
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
現代語訳秋の田のかたわらに建てた仮小屋は、屋根に葺いた苫の目が粗い。だから私の袖は、露に濡れていく。
春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
現代語訳春が過ぎて、もう夏が来たらしい。真っ白な衣を干すという、あの天の香具山に。
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
現代語訳山鳥の垂れ下がった尾のように長い長い夜を、私はひとりで寝るのだろうか。
田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
現代語訳田子の浦に出て見わたすと、真っ白な富士の高嶺に、雪が今も降り続いている。
奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき
現代語訳山の奥で、紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声を聞く。そのときこそ、秋は悲しい。
かささぎの渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける
現代語訳鵲が渡したという橋に置く霜、その白さを見ていると、夜もすっかり更けたのだと分かる。
天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
現代語訳大空をはるかに見わたせば月が出ている。あれは故郷の春日、三笠の山に出ていたあの月なのだろうか。
わが庵は都のたつみしかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり
現代語訳私の庵は都の東南にあって、こうして心静かに住んでいる。それを、世をつらく思って宇治山に隠れたのだと人は言うらしい。
花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
現代語訳桜の色はもう褪せてしまった。長雨がふるあいだ、私もむなしく物思いにふけって年をとった。
これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
現代語訳これがあの、行く人も帰る人もここで別れ、知る人も知らぬ人もここで出会うという、逢坂の関なのだ。
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣舟
現代語訳大海原を、数えきれない島々をめざして漕ぎ出していったと、都の人に伝えてくれ。漁師の釣舟よ。
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ
現代語訳空を吹く風よ、雲の中の通り道を吹き閉ざしてくれ。天へ帰る乙女の姿を、もう少しここに留めておきたい。
筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる
現代語訳筑波山の峰から落ちるみなの川が深い淵をつくるように、私の恋も積もり積もって淵のように深くなった。
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにし我ならなくに
現代語訳陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心は乱れはじめた。誰のせいだろう。私のせいではないのに。
君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ
現代語訳あなたのために春の野へ出て若菜を摘んでいる。その私の袖に、雪が降りかかっている。
立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む
現代語訳別れて因幡へ行くけれど、因幡山の峰に生える松のように、あなたが待つと聞いたなら、すぐにでも帰ってこよう。
ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは
現代語訳神々の時代にも聞いたことがない。竜田川が水を、唐紅に括り染めにするとは。
住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路人めよくらむ
現代語訳住の江の岸に寄る波の、その「よる」ではないが、夜までもどうして夢の通い路で人目を避けるのだろう。
難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや
現代語訳難波潟の蘆の、短い節と節のあいだほどのわずかな時さえ逢わないまま、この世を過ごせというのか。
わびぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ
現代語訳思いつめてしまった今は、どうなっても同じこと。難波の澪標ではないが、身を尽くしてでも逢いたいと思う。
今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな
現代語訳今すぐ行くとあなたが言ったばかりに、九月の長い夜を待ちつづけ、とうとう明け方の月が出るのを見てしまった。
吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ
現代語訳吹くとすぐに秋の草木がしおれてしまう。なるほどそれで、山風のことを嵐というのだろう。
月見ればちぢに物こそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
現代語訳月を見ていると、あれこれ際限なく悲しくなる。私ひとりに訪れた秋ではないのだけれど。
このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに
現代語訳今度の旅は急なことで幣を用意できなかった。手向山の紅葉を錦として捧げるので、神よ、御心のままにお受けいただきたい。
名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな
現代語訳その名のとおりであるなら、逢坂山のさねかずらをたぐるように、人に知られず来る手立てがあればいいのに。
小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ
現代語訳小倉山の峰の紅葉よ、心があるならば、もう一度の行幸まで散らずに待っていてほしい。
みかの原わきて流るる泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ
現代語訳みかの原を分けて流れる泉川。その「いづみ」ではないが、いつ見たというので、これほど恋しいのだろう。
山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬと思へば
現代語訳山里は冬こそ寂しさがまさる。人の訪れも絶え、草も枯れてしまうと思うと。
心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花
現代語訳あてずっぽうに折るなら折ってみようか。初霜が降りて、どれが花か分からなくなった白菊を。
有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし
現代語訳明け方の月が素っ気なく見えた、あの別れのとき以来、暁ほどつらいものはない。
朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪
現代語訳明け方、有明の月の光かと見まがうほどに、吉野の里に白雪が降り積もっている。
山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり
現代語訳山あいの川に風がかけたしがらみは、流れきれずにとどまった紅葉であった。
ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
現代語訳日の光がこんなにも穏やかな春の日に、どうして花は落ち着かず散っていくのだろう。
誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに
現代語訳誰を旧知の友としようか。高砂の松は長生きだが、昔からの友というわけではないのに。
人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける
現代語訳人の心はどうだか分からない。けれど昔なじみのこの里では、梅の花が昔のままの香りで咲いている。
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ
現代語訳夏の夜は、まだ宵のうちだと思っているうちに明けてしまった。雲のどのあたりに月は宿っているのだろう。
白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
現代語訳白露に風がしきりに吹きつける秋の野は、糸で貫きとめていない玉が散りこぼれるようだ。
忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな
現代語訳忘れられる我が身のことは何とも思わない。ただ、神に誓ったあの人の命が惜しまれてならない。
浅茅生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき
現代語訳浅茅の生えた小野の篠原、その「しの」ではないが、こらえてもこらえきれない。どうしてこれほど人が恋しいのだろう。
しのぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
現代語訳隠していたのに顔に出てしまった。物思いでもしているのかと人に尋ねられるほどに。
恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
現代語訳恋をしているという私の噂が、もう早くも立ってしまった。誰にも知られないように思いはじめたのに。
契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは
現代語訳固く約束したはずだ。たがいに涙で濡れた袖をしぼりながら、末の松山を波が越すことがないように、心変わりはしないと。
逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり
現代語訳逢ったあとのこの心にくらべれば、逢う前の物思いなど、物思いのうちに入らなかった。
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし
現代語訳逢うことがまったく無いのであれば、かえってあの人を恨むことも、我が身を嘆くこともなかっただろうに。
あはれとも言ふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな
現代語訳気の毒だと言ってくれそうな人も思い当たらないまま、このまま虚しく死んでいくのだろう。
由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋の道かな
現代語訳由良の門を渡る舟人が櫂を失うように、行方も分からないまま漂っていく恋の道であることよ。
八重葎しげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり
現代語訳幾重にも雑草が茂った荒れた家は寂しく、訪れる人の姿もない。それでも秋だけはやって来た。
風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけて物を思ふころかな
現代語訳風が激しいので岩を打つ波が自分だけ砕けるように、私だけが心を砕いて思い悩んでいるこのごろだ。
みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつ物をこそ思へ
現代語訳宮門を守る衛士のたく火が夜は燃え昼は消えるように、私の思いも夜には燃え、昼は消え入りながら続いている。
君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
現代語訳あなたのためなら惜しくないと思っていた命までも、いまは長くあってほしいと思うようになった。
かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
現代語訳これほど思っているとさえ言えない。伊吹山のさしも草ではないが、それほどとはご存じないだろう。この燃えるような思いを。
明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな
現代語訳夜が明ければまた日は暮れ、そしてまた逢えると分かってはいるのに、それでも恨めしい明け方であることよ。
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
現代語訳嘆きながらひとりで寝る夜が明けるまでが、どれほど長いものか、あなたはご存じだろうか。
忘れじの行末までは難ければ 今日を限りの命ともがな
現代語訳忘れまいというその言葉が、遠い先まで続くとは思えない。ならば今日を最後として、この命が尽きてほしい。
滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
現代語訳滝の音が絶えてから長い年月がたったけれど、その名だけは流れ伝わって、今も聞こえてくる。
あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな
現代語訳この世からいなくなる私の、あの世への思い出に。せめてもう一度だけ、あなたに逢いたい。
めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな
現代語訳久しぶりにめぐり会いながら、それがあの人だと見定めるまもなく去ってしまった。雲に隠れた夜半の月のようだった。
有馬山猪名の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
現代語訳有馬山、そして猪名の笹原に風が吹くと笹がそよぐ。さあ、そのそよではないが、あなたを忘れたりするものか。
やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな
現代語訳ためらわずに寝てしまえばよかったのに。夜が更けて、西に傾くまでの月を見てしまった。
大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
現代語訳大江山を越えて生野を通る道は遠いので、天の橋立をまだ踏んでもいないし、母からの文も見ていない。
いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな
現代語訳昔の奈良の都の八重桜が、今日はこの宮中で美しく咲きにおっていることよ。
夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
現代語訳夜のうちに鶏の鳴きまねでだまそうとしても、この逢坂の関は決して通さない。
今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな
現代語訳今はただ、あきらめてしまおうと、それだけを、人づてではなく直接あなたに言う手立てがあればいいのに。
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
現代語訳明け方、宇治川の霧がとぎれとぎれに晴れていき、あちこちの瀬に立つ網代木が姿を現してくる。
恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
現代語訳恨みつづけて涙の乾かない袖さえ嘆かわしいのに、その上この恋で評判まで朽ちてしまうのが惜しい。
もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし
現代語訳私と同じように、しみじみと思ってくれ、山桜よ。この山にはお前のほかに、私を知る者もいないのだから。
春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ
現代語訳春の夜の夢ほどはかない戯れの手枕のために、何の甲斐もなく噂が立つのは惜しい。
心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな
現代語訳本意ではないまま、このつらい世に生きながらえたなら、きっと恋しく思い出すのだろう。今宵のこの夜半の月を。
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり
現代語訳嵐の吹く三室の山の紅葉が散って流れ、竜田の川の錦となっていた。
さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづこも同じ秋の夕暮
現代語訳寂しさに耐えかねて庵を出て見わたすと、どこも同じように寂しい、秋の夕暮れだった。
夕されば門田の稲葉おとづれて 蘆のまろやに秋風ぞ吹く
現代語訳夕方になると、門前の田の稲の葉を鳴らして、蘆ぶきの粗末な小屋に秋風が吹いてくる。
音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ
現代語訳噂に高い高師の浜の、いたずらに立つあだ波。その波ではないが、浮気者と評判のあなたの言葉は心にかけまい。袖が涙で濡れては困るから。
高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山の霞立たずもあらなむ
現代語訳遠い山の峰の桜が咲いた。手前の山の霞よ、どうか立たないでいてほしい。
憂かりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを
現代語訳つれないあの人が振り向くようにと初瀬の観音に祈った。山おろしの風のように、つらさのほうが激しくなれとは祈らなかったのに。
契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり
現代語訳約束してくださった、あの恵みの言葉を命綱として待っていたのに、今年の秋もむなしく過ぎていくようだ。
わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波
現代語訳大海原へ漕ぎ出して見わたすと、はるかな沖の白波が、空の雲と見分けがつかない。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
現代語訳流れが速く、岩にせき止められた急流は二つに割れる。それでも先で合わさるように、別れてもまた逢おうと思う。
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に 幾夜寝覚めぬ須磨の関守
現代語訳淡路島から通ってくる千鳥の鳴く声に、幾夜目を覚ましたことだろう。須磨の関守は。
秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ
現代語訳秋風に流れる雲の切れ間から差し込んでくる月の光の、澄みきった明るさよ。
長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝は物をこそ思へ
現代語訳末長く変わらないというあなたの心も、どうだか分からない。黒髪が乱れるように、今朝の私の心も乱れて思い悩んでいる。
ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる
現代語訳ほととぎすが鳴いたほうを眺めると、そこにはもう姿はなく、ただ明け方の月が残っているだけだった。
思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり
現代語訳思い悩みながら、それでも命はこうして続いている。つらさに堪えきれないのは、涙のほうだった。
世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
現代語訳この世には逃れる道などない。思いつめて分け入った山の奥にも、鹿の鳴く声が聞こえてくる。
ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
現代語訳生きながらえたなら、つらい今このごろも懐かしく思い出すのだろうか。つらいと思っていた昔が、今では恋しいのだから。
夜もすがら物思ふころは明けやらで ねやのひまさへつれなかりけり
現代語訳一晩中もの思いにふけるこのごろは、なかなか夜が明けず、寝室の隙間までもが素っ気なく見える。
嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな
現代語訳嘆けと言って月が物思いをさせるわけでもないのに、まるで月のせいだと言わんばかりに流れる、私の涙であることよ。
村雨の露もまだ干ぬ真木の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮
現代語訳にわか雨のしずくもまだ乾かない杉や檜の葉に、霧が立ちのぼっていく秋の夕暮れ。
難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき
現代語訳難波江の蘆の刈り根の一節ではないが、仮寝の一夜のために、身を尽くして恋しつづけることになるのだろうか。
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
現代語訳わが命よ、絶えるなら絶えてしまえ。生きながらえていては、この恋を隠しとおす力が弱ってしまうといけないから。
見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず
現代語訳見せたいものだ。雄島の漁師の袖でさえ、濡れに濡れても色までは変わらないのに、私の袖は血の涙で色が変わってしまった。
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
現代語訳こおろぎの鳴く霜の夜、冷たいむしろの上に自分の衣だけを敷いて、私はひとりで寝るのだろうか。
わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし
現代語訳私の袖は、引き潮のときでも姿を見せない沖の石のようだ。人は知らないけれど、涙で乾く間もない。
世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも
現代語訳世の中は、いつも変わらずにあってほしい。渚を漕ぐ漁師の小舟が綱で引かれていく、その光景がしみじみと心に沁みる。
み吉野の山の秋風さ夜更けて ふるさと寒く衣うつなり
現代語訳吉野の山に秋風が吹き、夜が更けていく。かつての都は寒々として、衣を打つ砧の音が聞こえてくる。
おほけなくうき世の民におほふかな わが立つ杣に墨染の袖
現代語訳身分不相応なことだが、このつらい世の人々を包み守ろうとしている。比叡の山に入った私の、この墨染の衣で。
花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり
現代語訳桜を誘って散らす嵐の庭に降るのは雪のような花びらだが、本当に古りゆくのは、この我が身であった。
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
現代語訳来ない人を待つ、その松帆の浦の夕凪に焼かれる藻塩のように、わが身も焦がれ続けている。
風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける
現代語訳楢の葉に風がそよぐ、ならの小川の夕暮れ。もう秋のようだが、みそぎが行われているのだけが、まだ夏である証だった。
人もをし人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑに物思ふ身は
現代語訳人がいとおしくもあり、恨めしくもある。この世をどうにもならないものと思うがゆえに、あれこれ思い悩む我が身にとっては。
ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり
現代語訳宮中の古びた軒端に生えたしのぶ草。それを見てもなお偲びきれないほど、昔は遠い。